平知盛

去年の大河ドラマ義経だったね。
今回は知盛と義経の違いについてと、この中世の人たちの世界観について書いてみたいと思います。

義経が何故あそこまで追いつめられたのかは、直接的には梶原景時を多くの兵士の面前で痛罵したことで、この後恨みを買い頼朝の讒言されたことであるが、それよりも重要だと考えるのは自分の運命に対し無自覚であったことだと思う。当時は貴族の世から武士の世へと凄まじい価値観の変動があったわけで、高い地位のものから庶民まで、人間の力でどうしようもない運命というものに対する自覚があったように思うのね。

義経は戦争の達人だったが、その驕慢さには無自覚だった。このことが平家物話の背景に現れる世界観では没落せざる得ないのだろうね。平清盛源義仲と同じ世界観で運命に翻弄されて衰えていくしね。

でも間違ってはいけないのは、だから人間的に魅力があったのだと、壇ノ浦の合戦後上手に立ち回って、どこぞやの守護に頼朝に命ぜられた義経ならば世代を越えたヒーローにならないしね。

一方平知盛は、どうしようもない運命の力を自覚した人だった。一の谷の合戦のとき我が子が身代わりになり脱出できたとき、正直に自分の命は惜しいものだなあ。人は自分のことを卑怯者だとみるだろうなあ、恥ずかしいことだ。などと、全然武士らしくないことを言い。

壇ノ浦では、いかに勇士でも運命が尽きれば力及ばないが、この期におよんで命を惜しむな、味方ども。なんて言って自分も勇敢に戦い。敗戦が決定的になると、船の中の女房に戦の状況を聞かれたとき、からから笑ってもうすぐ東男が見られるよ。などとのたまい。最後まで奮闘する教経に向かい雑兵など相手にしても意味ないだろ、などとたきつけ(、この後猛然と教経は義経目指して突進する。ここが有名な八艘飛びの場面、)そのような平家一門の行く末を見届けると、見るべきものは見た,今は自害しよう。と言って海に飛び込んだのが最後だった。

この散歩するかのような軽やかな最後の場面はなんだと思う人もいるかも知れないけどけど、ここには運命に翻弄されながらも人間的に悩み苦しんだ末の真の勇者の姿を感じたのは、古来多かったのではないか。

力が強い。勇敢だというだけでは、勇者とは言えない。悩み苦しみ運命に抗しながらもその運命を自覚し受け入れる。その姿は美しい。こういったことをこの平家物語は教えてくれている気がするね。

平家物語は魅力的人物がてんこ盛りなので繰り返しよんでも楽しいし、教えられることの多い本だね。それに、なんか物凄く日本的な話だし、どこがいいのかを考えることが、同時に日本の良さを考えることにもつながるしね。